宮崎地方裁判所 昭和30年(ワ)135号 判決 1959年2月19日
原告 国 外三名
被告 井原良包
主文
別紙目録記載の土地は、原告国の所有であることを確認する。
被告は、原告国に対し金二万千四百八十三円及びこれに対する昭和二十七年十月一日から完済に至るまで年五分の割合による金員、爾余の原告等に対し各金一万六千七百九円及びこれに対する前同日から完済に至るまで前同率の割合による金員の各支払をなせ。
訴訟費用は、被告の負担とする。
事実
原告国指定代理人は、主文第一項第二項前段第三項同旨、爾余の原告等訴訟代理人は、主文第二項後段第三項同旨の判決を求め、被告訴訟代理人は、原告の請求を棄却する。訴訟費用は、原告の負担とする。との判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張は、別紙記載のとおりである。
証拠として、原告国指定代理人は、甲第一号証、第二条証の一乃至五、第三乃至第九号証を提出し、証人高橋直士、海江田文夫、大野久平、黒井俊一、桜木保袈裟、長崎重志、石田一雄、川越平三郎、開地常清の各証言、鑑定人井野藤吾鑑定の結果、検証の結果を援用し、乙号各証の成立(第五号証については原本の存在をも)を認め、被告訴訟代理人は、乙第一乃至第七号証(第五号証は写)を提出し、証人北里良照の尋問を求め、同中村奈良吉、日高恒次郎の各証言、被告本人尋問の結果、検証の結果を援用し、甲号各証は全部不知と答えた。
理由
公文書であるから真正に成立したものと推定し得べき甲第一号証、同第二号証の一乃至五、同第三乃至第五号証、同第七号証、証人黒井俊一の証言によつて成立を認め得べき同第六号証、同第八、九号証、成立並びに原本の存在について争いのない乙第五号証、成立に争いのない同第六、七号証、証人高橋直士、海江田文夫、大野久平、黒井俊一、石田一雄、桜木保袈裟、長崎重志、北里良照の各証言、鑑定人井野藤吾鑑定の結果、検証の結果を綜合すると、原告国は、明治初年以来宮崎県宮崎郡田野町(旧田野村)字前平に、国有林台帖上本田野国有林と表示された山林を有して保護管理し今日に至つているところ、明治十九年中、当時の所管庁である鹿児島大林区署において、右国有林全般につき国有林野の境界を実測して査定した上、境界標を設けて民有地との境界を明らかにし、更に明治三十九年に至り、隣接民有地所有者の立会を求めて再度調査し、境界標を修築したが、右両度に亘る調査において、いずれも、別紙目録記載の土地(以下、本件係争地又は土地という。)は右本田野国有林の一部とせられていたに拘らず隣接民有地の所有者からなんらの異議苦情もなかつた事実並びに原告国は、明治二十五年十二月十七日原告黒井晋先代亡初治、同弓削忠夫先代亡忠太、同大野平三郎先代亡藤平との間に、本件係争地につき期間を六十年目の年末とし、収益分収の割合を三官七民(造林者の持分は平等)とする部分林設定契約を締結し、爾来右原告等三名の先代に引続き右原告等において杉木を植栽管理して来たことを認めることができる。成立に争いのない乙第四号証によつては右認定を覆すに足らず、証人中村奈良吉、日高恒次郎の各証言並びに被告本人の供述中には本件係争土地並びに地上立木の占有管理につき被告の主張に副うところがあるけれども、これらの証言並びに供述の一部は前顕各証拠に照らしたやすく信を措き難いところで、又、成立に争いのない乙第一号証(字図)によれば、本件係争地は被告主張の田野町字前平九千八十五番原野三畝九歩に該当する如く表示されているけれども、字図の表示は往々にして実地と齟齬していることがあるものであるが、前認定の原告等の本件土地に対する占有管理の経過に照して考えると、同号証(字図)は、右九千八十五番原野を誤つて本件係争地の所在場所に表示したものと思われるから、右証拠によつては前認定を覆すに足りない。他に右認定の妨げとなる証拠はない。されば、本件係争土地は原告国の所有で、右地上の立木は原告等の共有に属するものであると認めるのが相当である。
しかして、被告が昭和二十七年九月右係争地上に生立する杉立木四十本を伐採したことは弁論の全趣旨に徴して明らかで、鑑定人井野藤吾鑑定の結果によれば、右杉立木の石数、山床価額、転売利益金は原告等主張の如くであることが認められるので、原告等は、右山床価額及び転売利益金の合計額金七万千六百十円に相当する損害を被つたものというべきで、これを前叙各持分の割合に応じて按分すると、原告国は金二万千四百八十三円、爾余の原告等は各金一万六千七百九円の割合となることが計数上明らかである。被告は、原告弓削、大野の両名は共にその持分権全部を原告黒井に譲渡した旨主張し、前顕乙第七号証によると右事実が認められないではないが、国有林野法第十五条によれば、部分林契約における造林者は、営林局長の許可を得なければその権利を処分することができないものとせられていて、この規定は、国有林野法が部分林契約による植林の方法を定めた趣旨に鑑みると、単なる注意的規定ではなく、いわゆる効力的規定と解さなくてはならないのであるが、原告弓削及び大野において右許可を得たことはこれを認めるに足る証拠がないから、右持分権の譲渡は未だその効力を生じないものというの外はない。
ところで、前顕乙第四号証に証人高橋直士、海江田文夫、北里良照の各証言を綜合すると、被告は、当時本件係争土地並びに地上立木が国有であるか民有であるかにつきすでに争いのあることを知つていたに拘らず、その確定を待たないで、低廉な価額でこれを買受け、本件杉立木を伐採し、営林署係官の制止をもきかないで、これを搬出して処分したことを認めることができるのであつて、右認定に反する被告本人の供述は措信せず、他に右認定の妨げとなる証拠はないから、被告は、右杉立木の伐採処分につき過失の責を免れることはできない。
されば、被告は原告等に対し、本件杉立木の不法伐採による前示各損害額及びこれに対する右不法行為の後である昭和二十七年十月一日から右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務ありといわねばならない。
よつて、原告国の所有権確認並びに損害賠償、爾余の原告等の損害賠償の各本訴請求は、すべて正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 長友文士 坂井芳雄 天野弘)
一、原告等の事実上の主張
(一) 請求の原因
別紙目録記載の土地は元来原告国の所有で、明治初年以来鹿児島大林区署において管理して来たが、同大林区署は明治二十五年中原告黒井、弓削、大野三名の各先代との間に、右地上に造林した立木の収益分収の割合を原告国十分の三、造林者十分の七(造林者相互間の割合は平等で、各自三十分の七)の定めで部分林契約を結び、右各先代等死亡後はその各相続人たる右三名の原告等において右契約上の地位を承継し、爾来右契約に基き造林をしてきたのである。従つて、右地上の立木は持分の割合を右分収の割合と同じくする原告等の共有物である。
ところが、被告は右土地を自己の所有であるとしてその所有権の帰属を争うばかりでなく、昭和二十七年九月、右地上に生立する杉立木四十本(材積九十八石四斗四升)を不法に伐採して処分し、その結果原告等に対し次の如き損害を与えた。すなわち、原告等の被つた損害は右杉立木の価額とその転売利益との合計額に相当するものであるが、右杉立木の価額は、その売買価額金八万四千九百九十七円から事業経費金一万三千三百八十七円(伐木造材費石当り金二十五円、牛出費石当り金六十円、運搬費石当り金七十五円、雑費石当り金十円、以上合計石当り金百七十円)及び事業利益金一万二千七百四十九円(売買価額の一割五分)を控除した金五万八千八百六十一円で、転売利益は右事業利益金と同額の金一万二千七百四十九円であるから、その合計額金七万千六百十円が原告等の総被害金額で、これを前記原告等の持分の割合に応じて按分すると、原告国の分は金二万千四百八十三円、爾余の原告等の分は各金一万六千七百九円となる。よつて、原告国は本件土地の所有権の確認を求め、又原告等全員は被告に対し右各金額及びこれに対する右不法行為の後である昭和二十七年十月一日以降右完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(二) 被告の抗弁に対する原告黒井、弓削、大野の陳述
原告弓削及び大野が、本件部分木に対する各持分権を原告黒井に譲渡した旨の被告の抗弁はこれを否認する。
二、被告の事実上の主張
原告等主張の請求原因事実は、すべてこれを否認する。被告は、宮崎県宮崎郡田野町字前平甲九千八十五番公簿上の地目並びに面積原野三畝九歩の山林地上に生立していた杉立木四十本(材積九十石)価額金七万円相当を原告等主張の頃に伐採した事実はある。しかし、右原野並びに地上立木は被告の所有に属するものである。すなわち、右原野は元、同郡同町本田野部落の部落持私有地で、その総代は訴外日高保太郎であつたが、明治四十年九月二十一日右総代は訴外中村万吉に代り、大正八年十月三日右中村外十二名の共有持となつた。その後更に共有者に変動があつたが、昭和二十七年八月三十日被告が当時の共有者全員からその持分を買受けて所有者となつたもので、同地上の前示杉立木は訴外中村万吉が植栽し育生したものである。
仮りに、被告の右主張が理由がなく、本件立木につき原告黒井、弓削、大野の三名が各自三十分の七宛の部分林契約上の持分権を有していたとしても、原告弓削、大野の両名は共にその持分権全部を原告黒井に譲渡して既になんらの権利をも有していないから、原告弓削、大野の本訴請求は失当である。
別紙
目録
一、宮崎県宮崎郡田野町字前平甲八千八百十七番の一(旧九千八十番)、(国有林台帳上は、本田野国有林五八班そ小班)のうち、左記図面表示の1乃至25より1の各点を連結して囲まれる部分、実測八反七畝二十二歩の土地
図、表<省略>